私のアイドル

これまで3回に渡ってここでブログを書いてきた。改めて読み返すとどうも全て肩に力が入った堅苦しい内容のものになっている。元来私はもう少しおちゃらけた人間である。今回は少し趣向を変えて、表題の件について論じていきたい。

 

これまでの人生において、目標、や、近づきたい人、という意味ではなく、女性有名人に対しての私の「アイドル」は誰だったかと考えてみた。いわゆる「団塊ジュニア世代」に属する私は、アイドル全盛であった80年代を思春期として過ごしてきた。やはりそうなると王道としては小泉今日子か。可愛いと思うし歌も好きだったがそこまでハマってはいなかった。斉藤由貴あるいは南野陽子か。スケバン刑事は毎週欠かさず見ていたがタイプとは違った。菊池桃子か。今思うと可愛かったが当時は菊池桃子ファンだというのは憚られる雰囲気があった。私の周りだけかもしれないが。酒井法子か。これも可愛かったがやや人工的な印象を受けた。渡辺満里奈か。当時圧倒的な可愛いさはあったがおニャン子にはそれほど熱くなれなかった。宮沢りえあるいは広末涼子か。少し年代がずれる。

 

熟考の結果、当時のイチオシは奇しくも今高校生のダンスで脚光を浴びている荻野目洋子ではなかったか、と気が付いた。恥ずかしくて部屋に女性芸能人のポスターを飾るような事はできない少年時代であったが、お茶の間のTVから流れる荻野目洋子の活動的、ボーイッシュなイメージに惹かれていたと思う。ただ、CDを買ったり、コンサートに行ったりはできなかった。なにせシャイなので。

 

そしてもうひとりの芸能人の名前が浮かんできた。奥貫薫。これは彼女自身というよりも、88年のKDDのCM、そしてその中でかかる中島みゆきの名曲「あした」にやれてたという面が強い。

 

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今見てももらい泣きしてしまいそうな名作。15秒の間にこれほど人の感情を揺さぶることが出来るCMの世界に一時期は強く惹かれていたことも事実である。

 

結局大学では都市計画を専攻し、そして自由な大学院時代。私は「モーニング娘。」にハマっていた。いわゆるモーヲタである。誰かが特定のメンバーが好きだったというわけではなく、冴えなかった(失礼)女の子達が解散をちらつかされながら必死に売上を重ねていき、国民的アイドルまでのし上がったというストーリーに惹かれていた部分が強い。紺野あさ美というメンバーが入った際に、当時の2ちゃんのスレで「こんこん」というあだ名とo・-・)という顔文字を積極的に使い定着させたのは何を隠そうこの私であった。Googleで「こんこん」と検索するとo・-・)がトップに出るように当時の2ちゃん住民と色々工夫を重ねたのも懐かしい思い出である。研究室の後輩と横浜アリーナのコンサートへ行き、周りの観客とともにジャンブながら「じゃんけんぽん!」と叫んでいる自分を冷静に見つめ直した時はさすがに何をしているんだろう、と思わなくもなかったが。

 

というわけで、「私のアイドル」は80年代アイドル全盛期の頃は思春期でありながらそれほど強く特定の人間を支援していたわけではなくて、結局20代、それも後半になってからの「モーニング娘。」ということになろうか。今はジャカルタ出張時にたまにJKT48を見に行くぐらい。