今日ぐらいは感傷に浸らせてくれ

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2019年3月24日NHK6時のニュースより

2019年3月24日。ジャカルタMRT南北線、ジョコ大統領を迎えて無事に開通式典を行うことが出来た。鉄道車両や信号などのシステム、土木工事等日本の企業が納めた史上初めての「オールジャパン」による海外での都市鉄道の開通である。私は、無事にこの日を迎えられたことを鬼籍に入られたお二人に心の中で報告をした。高橋勝重さんと根橋輝さんに、である。

 

高橋さんは、元日商岩井の社員でかつてニューヨークに16年も駐在されていたようだ。当時日本人鉄道技術者に海外でご活躍いただく支援をしていた社団法人海外鉄道技術協力協会(JARTS)に2000年代の前半に転職された方である。確か奥さんが裕福な方で高給を取る必要がなく、それよりもやりがいがある仕事をということでJARTSのミッションを達成させようと志を持って転職をされた模様。私が高橋さんにお会いしたのは確か2005年だと思う。当時私はハノイでJICA開発調査の業務を行っていた。その1年前にJICAに提出したホーチミン市交通マスタープランのなかで提案した「ホーチミン都市鉄道1号線」。私も深く関わったこの案件がオールジャパンによる都市鉄道整備の案件を探していた高橋さんの目に止まり、これを実現させようと当時の私の会社にコンタクトされたのが最初である。当初は私の先輩が担当する予定であったが、別の案件で忙しかったため私に白羽の矢が立った。

 

高橋さんの動きは、経済産業省にも支えられていた。一定の割合で日本製を購入すればODAによる借款利率が極めて低くなる本邦技術活用条件、いわゆるSTEPを都市鉄道整備に史上初めて適応させようと奔走されていたのが経産省国際プラント室のM室長(当時)であった。それまで、日本のODAによって都市鉄道の整備は行われてきたが、バンコクのブルーラインはシーメンスが、デリーのデリーメトロでは電装品は三菱電機だが車両自体は韓国のロテムが納めることとなった。信号システムもそれぞれシーメンスとボンバルディアとなった。ODAで都市鉄道を整備しても日本製が入らない、という声が上がる中、STEPによる都市鉄道整備を目指して奔走し、それを実現させたのは経済産業省のM室長とJARTSの高橋さんである、と私は認識している。

 

高橋さんは営業職なので鉄道技術のことは詳しくない。そちらを支えたのが同じくJARTSの根橋さんであった。根橋さんは国鉄分割民営化の際に鉄建公団(現在の鉄道運輸機構)に移られて、鉄建公団の幹部を経てその後JARTSに勤務された方。慶応高校から東京大学工学部土木工学科を卒業し、国鉄に入られたエリートである。その根橋さんがチームリーダーとなりJICAマスタープランで提案したホーチミン1号線の深度化調査を経済産業省の予算で行ったのが2006年である。私はここで需要予測・経済財務分析を担当したのだが、鉄道技術的にはもちろん優れていたが英語でのレポーティングが必ずしも得意ではない根橋さんに代わってレポーティング全般も見ることになった。

 

STEPの実現のためには、鉄道技術にかかる検討だけではダメで、いわゆる紐付きODAとするためにはOECDのルールに則って進めて、仮にOECDの他の加盟国から異議申し立て(これを我々はチャレンジと呼んでいた)を受ければパリのOECD本部での討論会に参加してその可否を合議する必要があった。このOECD用のレポートもほとんど私が執筆しパリからチャレンジを受けたらどうしょうと震えていたが、結果的にチャレンジを受けることなく史上初の都市鉄道へのSTEPが決定した。そして、そのような働きが評価されたか、私は高橋さんから声がかかり、2007年JARTSに転職することになった。

 

ジャカルタMRT南北線の案件は、ホーチミン1号線より1年遅れで始まった。ジャカルタMRTにおけるSTEP導入の経緯は私は把握していないが、ホーチミンでの採用の成功が影響している事は間違いないと思われる。そして、2016年から私もジャカルタの案件に携わることになり、日本車両の電車が走り、日本信号の最新の信号システムが支えるこのジャカルタMRT南北線の開通式の今日の日をメンバーの一人として無事に迎えることが出来た。 

 

思えば博士号取得後の私は、オールジャパンによる鉄道整備を実現させる「熱病」に取り憑かれたようなものであった。ただ、今日は「始まりの終わり」に過ぎない。高橋さん、根橋さんの想いをつなぐためにも、間もなく始まる営業運転を安全に行い、日本の高いサービスレベルをジャカルタ、インドネシア、世界の皆さんに味わっていただくように今後も微力を尽くしたいと思う。ただ、今日ぐらいは感傷に浸らせてくれ。