進路にまつわるエトセトラ

久しぶりのこのエントリーは、日本の大学院で博士号を取得し息子がアメリカの大学へ学部入学した筆者が、日本人は今後どのような教育の選択肢を子息に与えていくのが良いか、これまでの経験から自分なりの私見を述べたものである。議論をわかりやすくするために、ここでは海外のトップ校としてアメリカの大学に絞った。特に大陸ヨーロッパでは入試のシステムが大きく異なるようだが、それに対する個人的な知見も薄いため、ここでは議論の対象としない。(*私自身は留学にかかわる仕事をしているわけではないので、認識違いの内容となっていましたら予めお詫び申し上げます。ご指摘いただければ適宜修正・削除させていただきます。)

 

2021年から始まった円安基調が日本の高校生の海外の一流大学への進学希望に拍車をかけているようだ。少なくとも20世紀では日本のトップ高校の進路先に海外の大学が掲示されるのを目にすることはあまりなかったと記憶している。最近は、東京一工医の横に競うように世界大学ランキング100位以内の諸大学への進学先を掲載している高校も多く見られる。今後は、所謂「進学校」として、日本国内の偏差値の高い大学・学部を狙う高校グループと、世界大学ランキングで出来るだけ高位にある大学・学部に進学させる事を目指して教育を行う高校グループに分かる流れが加速していくものと予測される。そして、その後の卒業生の成功度合いによっては、後者のグループがより評価されるようになる可能性も十分高い、と考えられる。

 

しかし、その過程はすんなりとはいかないのでは、と個人的には思う。

 

まず、よく言われていることであるが、アメリの大学入試は日本のように学力テストですべてが決まるわけではない。もっとも重要なのが高校の成績いわゆるGPAで、あとは共通テストであるSAT/ACTの結果、エッセイ、課外活動が評価の俎上にあがる。もちろんこれらですべて決まるわけではなく、特に有名私立では両親が同大出身かどうかのLegacy枠、スポーツ枠、もろん寄付額。州立大学ではスポーツ枠もありつつ、人種や収入、家族で最初に大学に入ったか(First Generationか)どうか等の「公平さ」が重視される。つまり、日本の入試のように勉強量(効率性含む)に比例して進学可能な大学のレベルが上がる、ということではなく、それまでの18年間の人としての「総合力」が試されるのである。それには個人の努力ではどうしようもない部分も含まれる。

 

GPA一つ取ってみても、日本の高校では、いくら偏差値が高くても5段階評価でオール5だった人は少ないのではないか。どうしても苦手な科目もあるし、学力だけでは測れない科目もある。かつ、アメリカの高校生にはGPAをブーストする秘訣がある。所謂APクラスである。これは大学レベルの授業を高校で受講するという名の下施されている科目で、GPA計算の際に、通常の科目だとA+の4が最大だが、APクラスの場合はこれがA+で5になる。IBクラスも構造的には同じで、日本でもAP/IBクラスを提供している高校もあるようだが、まだ一般的だとは言えない。つまり、日本で偏差値が高い高校生がGPAを計測しても、それを高くすることを目指して対応をしていなければ競争力が高くない値となってしまう蓋然性があるのである。そして、先程述べた通り、GPAは重要な指標であるものの、これ一つで決まるものでもない。課外活動って何やねん?という日本の進学校の高校生も多いであろう。

 

つまり、日本人が日本の高校を出て学部からアメリカのトップ大学を目指すのは、やるべき事が可視化されている日本のトップ大学進学過程とは異なり、海図の無い大海に航海に出るようなもので、当たればでかいけど、効率性でいうと疑問符がつく、というのが今の偽らざる状況である。

 

そして、それなりの対応をしたとしても、日本人に対しては残念ながら「アジア人の壁」が存在する。アジア人は真面目に試験の対応をちゃんとして教育に対する投資は惜しまない割合が高いので、GPAやSAT/ACTの点数だけで見ると、白人など他の人種に比べて高くなる傾向にある。これらの数字だけを入試で評価すると、アメリカのトップ大学はアジア人だらけになってしまう。そこで、私立であればLegacy枠やスポーツ枠で上から、州立であれば人種や収入の公平性で下からアジア人の枠を締める。細かい人種別の考慮は多少あるとは思うが、基本的に「アジア人」枠に中国人、韓国人、インド人等も含まれるので、締められた枠をこういった人種の学生たちと奪い合うことになる。

 

それではどうすれば良いのか。効果的だがお金がかかる順に並べると、

1) 高校から現地あるいは日本/日本以外のインターナショナルスクール(AP/IB高)に入り、学部入学を目指す。

2) 日本の高校卒業後にアメリカのコミュニティカレッジに入学し2年後にトップ大学への編入を目指す。

3) 日本の大学を卒業後、アメリカの大学院を目指す。

ということになろうかと思う。ここでの課題は「卒業(修了)後、どこで働きたいか」ということになろう。

 

将来絶対アメリカで働きたい、ということであれば、孫さんや柳井さん等のリッチな奨学金を得られる限りあるいは両親のお金の許す限りは、1)2)で大学院にも進学する、が一番か。3)でもある分野に特に秀でていれば可能性は十分あるが、相対的には1)あるいは2)のほうが高いであろう。それは、18歳から現地で生活している学生と、ある程度自我が固まった20代中盤以降から2-3年間生活した人間とでは文化に対する吸収力が残念ながら異なり、学部という「青春ど真ん中」を現地で過ごすということは就職活動含めて今後「アメリカ人」として生活していく上で極めて強い意味を持つと考えられるからである。18-22歳という多感な時期を同じ寮や共同生活で過ごす同級生と、家族持ちの社会人も多い大学院の同級生とでは精神的なつながり(それが後のコネになる)に差が出ることも想定される。

 

2)の注意点は、Ivy Leagueなどのトップ私立校への編入は極めて狭き門である一方で、州立大学には同州のコミュニティカレッジからの編入は枠があるので、将来を見越してどの州で学ぶのか慎重に行わないといけないことである。カリフォルニア州は優秀な州立大学が多く存在するので、選択肢が広がる意味からもここを目指している学生も多いようであるが、昨今生活費が高騰しているのと、今後より多くの日本人がカリフォルニア州のコミュニティカレッジからの編入を目指すようになれば、当然日本人内あるいはアジア人内での競争になるので、希望通りの進学先を得ることがより困難になる。カリフォルニア大学群に限っていうと、納税者優先の観点から昨今カリフォルニア州民をより優先的に入学させるような流れもあり、2022年の留学生の合格者は新入生も編入生も昨年の比較で大幅に減ったようだ。このような政策の変化にも注視しなければならない。また、コミュニティカレッジで、異国での新しい生活環境に慣れるのに時間がかかってしまうと1年目の成績が思ったようなものが得られない可能性もある一方、2年目の数カ月後には編入希望先に成績を提出しなければならず、GPAが低いと志望校は愚か編入すること自体困難になり、GPAを上げるために1年追加で通う、あるいは最終学歴がコミュニティカレッジとなる事も最悪起こってしまう。1)であれば、1年目で成績が多少悪くでも3年間かけて取り戻せる、という時間的な余裕もある。

 

3)の問題点は、先程述べたように、大学院をアメリカのトップ校で修了したからといって現地で必ず就職できるか、というと容易くはないことと、日本の学部での専攻と大学院の専攻が全く異なると進学自体が難しくなるということか。アメリカでの就職を考えSTEMを大学院で専攻したい場合は、やはり日本の学部でもそれに近い専攻を取っておいたほうが有利になるが、日本の大学入試は理系で特に難しくなるので、それを克服できるか、ということになろう。日本でそこそこ良い大学に理系で入り、英語をみっちり勉強して、研究室の先生の推薦もあってトップ校の修士/博士課程に進学、そしてそのまま現地に就職、というのが経済的に最も効率的な方法ではなかろうか。

 

日本の高校からでもノウハウを蓄えてアメリカのトップ校に進学するケースもこれから増えてくるだろうし、1)-3)のみが正解だとは思わないが、日本の受験のゲームのルールとアメリカのそれとは大きく異なる事を理解し、二兎追う者は一兎も得ず、とならないようにするべきだと思う。

 

もちろん、「幸せ」は人それぞれである。アメリカでの就職=幸せ、では決して無いと思う。しかし、例えば東大を出て日本の一流企業に入った年収が800万、アメリカのそこそこの大学出てそこそこの企業に勤めた人間の年収が2,000万、というのはここ数年で起こりうる未来で、その格差は残念ながら拡大する一方である。そうなった時に子息が相対的に不満や不自由を感じることなく、十分な選択肢が提供できるよう、親として準備と対応はして欲しいと願う。