ホーチミン都市鉄道1号線に込めた思い(1)

関係者全員の力でこの案件を実施までこぎつけることができたのは、その内の1人である私の30代におけるキャリアの最大の成果だと自負している。もちろん課題はある。まだ開業していない。昨今はベトナム政府からの支払いがかなり遅延して大きな問題となっているようだ。しかし、もう工事は始まっている。何年後になるかはともかくあと数年で開業するであろう。2002年からのマスタープランでの案件提案、そして2005年から案件形成に携わり、2007年には両政府の合意が得られたホーチミン都市鉄道1号線。案件形成当時、この路線に込めた思いを明文化したい。今回は主に路線計画に関するものを取り上げる。

 

なぜホーチミン1号線は市の中心から北東方面に伸びているのか

ホーチミン市における都市鉄道のマスタープランならびに具体的な整備計画は、我々が行った2002-2004年のJICA調査での提案が最初というわけではなかった。当時最も具体的であったのがドイツ・ドレスデン大学の提案で、市の中心であるベンタン市場から北西に1路線、南西に1路線の2路線の整備が計画されていた。我々JICA調査では、この2路線と重複しない路線計画をプレFS(フィジビリティスタディ)の案件として採択してくれという市側の意向を受け、ベンタンから北東方面の路線(今の都市鉄道1号線)をその対象とした。その後、ドイツの提案は1路線に集中し、現在の都市鉄道2号線(ベンタン-タムルオン)への取り組みと続いている。

 

当時、ホーチミン市の街の形成は市中心部東を流れるサイゴン川による発展の阻害によって、自然の趨勢として西側に広がっていた。逆に言うと、市の東側は中心部から近いにも関わらず発展が遅れており、私はここに一つの可能性を見出した。つまり、オートバイクが交通機関分担率の8割以上を占めるホーチミン市において、ただ単に既成市街地に都市鉄道を整備しても(短距離であれば特に)オートバイクの利便性に鉄道が打ち勝てる可能性は低い。そうであるならば、都市開発と鉄道整備を一体型で行い、駅から歩ける範囲に商業・住宅開発を高度に集積させるべきでは、そして市の中心であるベンタンと、まだ都市開発の余地がある市北東方面を軌道系公共交通で結べばその理想に近づけるのでは、と思ったのである。かつ、そういった都市と鉄道の一体型開発はまさに日本のお家芸。阪急電鉄の創始者小林一三が始めたビジネスモデル、いわゆるTOD(Transit Oriented Development)である。

 

通常JICA調査で実施するプレFSの案件は、それを強力に実施までもっていこうとする動きがないと計画だけ作って終わってしまう。私は、この案件に可能性を感じ、これを実施まで漕ぎ着けようと動いた海外鉄道技術協力協会(JARTS)のTさん(故人)とともに経済産業省の方々を巻き込んで案件の実現に奔走した。それが2005-2006年、その後そのJARTSに声をかけていただいて、元々いた民間開発コンサルから2007年に転職することにした。

 

なぜホーチミン1号線はサイゴン川の際を通過しているのか

我々が1号線の線形を再検討していた際、当時軍港であったバソン港が近く郊外に移転する、という情報が入ってきた。市中心部に直近で20haもの土地が丸々空く。こんなに美味しい話はない。港湾跡地の鉄道整備を伴う再開発。私はすぐに横浜みなとみらい地区を想起した。このバソン港跡地にみなとみらい駅とクイーンズスクエアのような連結した商業開発が出来れば、鉄道利用者は増えると確信した。まだ当時はベトナム防衛省と市との土地の引き渡しに関する話し合いは決着していなかったが、100年の都市づくりを考えると、ここに駅をおかない手はない。そして、この空いた土地を使って地下から高架に移行する区間を設置するために、できるだけ開発の余地を残す事を目的として、鉄道予定地はできるだけ川側に寄せた。地下から高架への移行区間が開発予定地の真ん中を通ってしまうと地区の分断となってしまうことを懸念したためである。個人的には、日本のディベロッパーがみなとみらいの経験を活かしてバソンの再開発も行って欲しいと思っていたが、残念ながらベトナム企業のVinグループが政治力を使ってこの開発権を得た。この地区の開発を行っているVinグループは、私に金一封でも包むべきだと思っている(笑)

 

なぜホーチミン1号線は公園内に駅があるのか

バソン港跡地で地下から高架に上がると、ベンタン側から最初の高架駅がバンタン公園駅になる。このバンタン公園は知る人ぞ知るホーチミンの都会のオアシス。敷地内の池の畔にレストランが有り、熱帯の都会ホーチミンの真ん中で自然の涼を取ることが出来る貴重な場所である。私はここに駅を置くことを主張した。もちろん、他の駅予定地に比べると旅客需要は少ないし、開発の余地も小さい。しかし、均一的になりがちな駅周辺開発で、ここは都心にありながら自然が残る地区。必ずこの特徴が路線全体の価値を高めると信じた。そして、湖面脇を横切るように線形を引いた。開通後は湖上と湖面に映る電車をレストランから撮影できるのでは、と考えたためである。今で言う「インスタ映え」に該当するかもしれない。もちろんまだ開通していないので検証はできていないが、そうなったら楽しいし、市民に愛される鉄道になるのでは、と言う期待も込めた。

 

なぜホーチミン1号線はスオイティエンが終点なのか

 小林一三の思想は極めてシンプルである。都市鉄道は片方向ピーク時の輸送量に合わせてインフラ全体の整備を行わないといけない。仮に片方向ピーク時の需要が他に比べて特に先鋭していれば、反対方向、オフピーク時は逆に需要に対して供給が多すぎる事となる。つまり、いかに方向、時間帯、曜日で需要を平準化するかが鉄道経営の肝となる。そのために、小林一三は郊外の終点側に「宝塚新温泉(のちの宝塚ファミリーランド)」、そしてその中に「宝塚歌劇団」を設営し、休日逆方向の需要を創生することを試みた。

 

翻ってホーチミン1号線沿線を見ると、既であるはないか。スオイティエンウォーターパークが。「狂ったディズニーランド」という不名誉なあだ名もあるスオイティエンウォーターパークは、地元市民に愛され集客力もある立派な遊園地である。当初のプレFSでは、ベンタンから北東方面にThu Ducまでの14kmの整備を計画していたが、計画見直しの際に私はこれをスオイティエンまで延ばす事にこだわった。もちろん延長した沿線にサイゴンハイテクパークや大学群が整備・計画されていることも決め手となったが、スオイティエンウォーターパークを宝塚ファミリーランドと見做して健全な鉄道経営を目指したかったのが一番大きな理由である。

 

 

 

まとめ

 ホーチミン都市鉄道1号線は、市の中心部からまだ開発の余地が残っていた市の北東部を結ぶ路線で、途中にみなとみらいのようなバソン港があり、日比谷公園のようなバンタン公園があり、終点側に宝塚ファミリーランドのようなスオイティエンウォーターパークが存在している、日本の都市鉄道と極めて親和性の高い路線となっている。私が10年以上前に狙っていたとおり、現在、1号線沿線は民間資本による開発が目白押しで、これが利用者の確保、そして鉄道経営の助けとなってくれればと願っている。