進路にまつわるエトセトラ

久しぶりのこのエントリーは、日本の大学院で博士号を取得し息子がアメリカの大学へ学部入学した筆者が、日本人は今後どのような教育の選択肢を子息に与えていくのが良いか、これまでの経験から自分なりの私見を述べたものである。議論をわかりやすくするために、ここでは海外のトップ校としてアメリカの大学に絞った。特に大陸ヨーロッパでは入試のシステムが大きく異なるようだが、それに対する個人的な知見も薄いため、ここでは議論の対象としない。(*私自身は留学にかかわる仕事をしているわけではないので、認識違いの内容となっていましたら予めお詫び申し上げます。ご指摘いただければ適宜修正・削除させていただきます。)

 

2021年から始まった円安基調が日本の高校生の海外の一流大学への進学希望に拍車をかけているようだ。少なくとも20世紀では日本のトップ高校の進路先に海外の大学が掲示されるのを目にすることはあまりなかったと記憶している。最近は、東京一工医の横に競うように世界大学ランキング100位以内の諸大学への進学先を掲載している高校も多く見られる。今後は、所謂「進学校」として、日本国内の偏差値の高い大学・学部を狙う高校グループと、世界大学ランキングで出来るだけ高位にある大学・学部に進学させる事を目指して教育を行う高校グループに分かる流れが加速していくものと予測される。そして、その後の卒業生の成功度合いによっては、後者のグループがより評価されるようになる可能性も十分高い、と考えられる。

 

しかし、その過程はすんなりとはいかないのでは、と個人的には思う。

 

まず、よく言われていることであるが、アメリの大学入試は日本のように学力テストですべてが決まるわけではない。もっとも重要なのが高校の成績いわゆるGPAで、あとは共通テストであるSAT/ACTの結果、エッセイ、課外活動が評価の俎上にあがる。もちろんこれらですべて決まるわけではなく、特に有名私立では両親が同大出身かどうかのLegacy枠、スポーツ枠、もろん寄付額。州立大学ではスポーツ枠もありつつ、人種や収入、家族で最初に大学に入ったか(First Generationか)どうか等の「公平さ」が重視される。つまり、日本の入試のように勉強量(効率性含む)に比例して進学可能な大学のレベルが上がる、ということではなく、それまでの18年間の人としての「総合力」が試されるのである。それには個人の努力ではどうしようもない部分も含まれる。

 

GPA一つ取ってみても、日本の高校では、いくら偏差値が高くても5段階評価でオール5だった人は少ないのではないか。どうしても苦手な科目もあるし、学力だけでは測れない科目もある。かつ、アメリカの高校生にはGPAをブーストする秘訣がある。所謂APクラスである。これは大学レベルの授業を高校で受講するという名の下施されている科目で、GPA計算の際に、通常の科目だとA+の4が最大だが、APクラスの場合はこれがA+で5になる。IBクラスも構造的には同じで、日本でもAP/IBクラスを提供している高校もあるようだが、まだ一般的だとは言えない。つまり、日本で偏差値が高い高校生がGPAを計測しても、それを高くすることを目指して対応をしていなければ競争力が高くない値となってしまう蓋然性があるのである。そして、先程述べた通り、GPAは重要な指標であるものの、これ一つで決まるものでもない。課外活動って何やねん?という日本の進学校の高校生も多いであろう。

 

つまり、日本人が日本の高校を出て学部からアメリカのトップ大学を目指すのは、やるべき事が可視化されている日本のトップ大学進学過程とは異なり、海図の無い大海に航海に出るようなもので、当たればでかいけど、効率性でいうと疑問符がつく、というのが今の偽らざる状況である。

 

そして、それなりの対応をしたとしても、日本人に対しては残念ながら「アジア人の壁」が存在する。アジア人は真面目に試験の対応をちゃんとして教育に対する投資は惜しまない割合が高いので、GPAやSAT/ACTの点数だけで見ると、白人など他の人種に比べて高くなる傾向にある。これらの数字だけを入試で評価すると、アメリカのトップ大学はアジア人だらけになってしまう。そこで、私立であればLegacy枠やスポーツ枠で上から、州立であれば人種や収入の公平性で下からアジア人の枠を締める。細かい人種別の考慮は多少あるとは思うが、基本的に「アジア人」枠に中国人、韓国人、インド人等も含まれるので、締められた枠をこういった人種の学生たちと奪い合うことになる。

 

それではどうすれば良いのか。効果的だがお金がかかる順に並べると、

1) 高校から現地あるいは日本/日本以外のインターナショナルスクール(AP/IB高)に入り、学部入学を目指す。

2) 日本の高校卒業後にアメリカのコミュニティカレッジに入学し2年後にトップ大学への編入を目指す。

3) 日本の大学を卒業後、アメリカの大学院を目指す。

ということになろうかと思う。ここでの課題は「卒業(修了)後、どこで働きたいか」ということになろう。

 

将来絶対アメリカで働きたい、ということであれば、孫さんや柳井さん等のリッチな奨学金を得られる限りあるいは両親のお金の許す限りは、1)2)で大学院にも進学する、が一番か。3)でもある分野に特に秀でていれば可能性は十分あるが、相対的には1)あるいは2)のほうが高いであろう。それは、18歳から現地で生活している学生と、ある程度自我が固まった20代中盤以降から2-3年間生活した人間とでは文化に対する吸収力が残念ながら異なり、学部という「青春ど真ん中」を現地で過ごすということは就職活動含めて今後「アメリカ人」として生活していく上で極めて強い意味を持つと考えられるからである。18-22歳という多感な時期を同じ寮や共同生活で過ごす同級生と、家族持ちの社会人も多い大学院の同級生とでは精神的なつながり(それが後のコネになる)に差が出ることも想定される。

 

2)の注意点は、Ivy Leagueなどのトップ私立校への編入は極めて狭き門である一方で、州立大学には同州のコミュニティカレッジからの編入は枠があるので、将来を見越してどの州で学ぶのか慎重に行わないといけないことである。カリフォルニア州は優秀な州立大学が多く存在するので、選択肢が広がる意味からもここを目指している学生も多いようであるが、昨今生活費が高騰しているのと、今後より多くの日本人がカリフォルニア州のコミュニティカレッジからの編入を目指すようになれば、当然日本人内あるいはアジア人内での競争になるので、希望通りの進学先を得ることがより困難になる。カリフォルニア大学群に限っていうと、納税者優先の観点から昨今カリフォルニア州民をより優先的に入学させるような流れもあり、2022年の留学生の合格者は新入生も編入生も昨年の比較で大幅に減ったようだ。このような政策の変化にも注視しなければならない。また、コミュニティカレッジで、異国での新しい生活環境に慣れるのに時間がかかってしまうと1年目の成績が思ったようなものが得られない可能性もある一方、2年目の数カ月後には編入希望先に成績を提出しなければならず、GPAが低いと志望校は愚か編入すること自体困難になり、GPAを上げるために1年追加で通う、あるいは最終学歴がコミュニティカレッジとなる事も最悪起こってしまう。1)であれば、1年目で成績が多少悪くでも3年間かけて取り戻せる、という時間的な余裕もある。

 

3)の問題点は、先程述べたように、大学院をアメリカのトップ校で修了したからといって現地で必ず就職できるか、というと容易くはないことと、日本の学部での専攻と大学院の専攻が全く異なると進学自体が難しくなるということか。アメリカでの就職を考えSTEMを大学院で専攻したい場合は、やはり日本の学部でもそれに近い専攻を取っておいたほうが有利になるが、日本の大学入試は理系で特に難しくなるので、それを克服できるか、ということになろう。日本でそこそこ良い大学に理系で入り、英語をみっちり勉強して、研究室の先生の推薦もあってトップ校の修士/博士課程に進学、そしてそのまま現地に就職、というのが経済的に最も効率的な方法ではなかろうか。

 

日本の高校からでもノウハウを蓄えてアメリカのトップ校に進学するケースもこれから増えてくるだろうし、1)-3)のみが正解だとは思わないが、日本の受験のゲームのルールとアメリカのそれとは大きく異なる事を理解し、二兎追う者は一兎も得ず、とならないようにするべきだと思う。

 

もちろん、「幸せ」は人それぞれである。アメリカでの就職=幸せ、では決して無いと思う。しかし、例えば東大を出て日本の一流企業に入った年収が800万、アメリカのそこそこの大学出てそこそこの企業に勤めた人間の年収が2,000万、というのはここ数年で起こりうる未来で、その格差は残念ながら拡大する一方である。そうなった時に子息が相対的に不満や不自由を感じることなく、十分な選択肢が提供できるよう、親として準備と対応はして欲しいと願う。

計画都市をめぐる冒険

久しぶりの投稿になる。

 

2021年第四四半期は、新たな国であるバングラディシュでダッカ地下鉄の案件に関わったりしたのだが、いまいちブログを書く気力が湧いてこず、4ヶ月ぶりの更新となってしまった。

 

私のこれまでの49年間の人生を振り返ってみると、三つ子の魂百まで、ではないが、同じような住環境を求めてきたな、と改めて感じるもので、今回のエントリーはそんな話。

 

生まれたのは神奈川の小田原市だが、1歳のときに家族で京都の福知山市に引っ越した。福知山市というのは京都市から100キロも北西に行く丹波の地方都市で、明智光秀が築いた城下町が広がる小都市である。父親の勤務先は「長田野工業団地」という(当時)内陸にある工業団地で日本最大規模と謳われた場所にあった。福知山にはかつて陸軍の連隊区が置かれており、その演習場跡地を工業団地に造成して出来たのが長田野工業団地だと理解している。その工業団地に隣接して整備された住宅地区に1歳から高校卒業まで住んでいた。厳密な意味では計画都市には該当しないかもしれないが、いわゆる昔からの市街地ではなくて、計画的・人工的に整備された街区で幼児から青春時代を過ごしたのである。

 

私には2つ上の兄がおり、兄が進学先に選んだのが筑波大学。高校2年生のときに兄を訪問しにつくばまで行き、そこで見て体験した「筑波研究学園都市」に一目惚れしてしまった。当時の私は「都市計画」という言葉に強く惹かれていて、そのような仕事に就きたいと思っていた。そして筑波大学には都市計画専攻を有する社会工学類という学部があり、かつ計画都市の日本代表のような筑波研究学園都市にあるという環境。私は早くから志望校を1校に絞り、他の大学は一切受験せず進学。計画都市ラブのなせる業である。

 

その後フィリピン大学大学院修士課程への留学を経て、東工大大学院博士課程に進学。自分の研究室は長津田にあり、月に2,3度は大岡山のメインキャンパスに行く必要があったので車で通っていたのだが、道中は必ず港北ニュータウンを通り、「センター北萌え」を自分の中で育んでいた。仮に東京近郊に住むことになったら港北NTだと当時は考えていたが、残念ながらそれは実現しそうにはない。

 

その後就職して2002年から断続的にベトナムの案件に関わるようになり、2003年には息子が誕生。2004年以降、ホーチミン市での勤務がある程度ある間は、7区のPhú Mỹ Hưngにアパートを借りて家族で生活するようになった。Phú Mỹ Hưng a.k.a. サイゴンサウスは、ホーチミン市南部の湿地帯に台湾のディベロッパーが大規模造成を行って開発した新都市であり、水と緑に囲まれたとてもきれいな街づくりを行っている街区である。私はこのPhú Mỹ Hưngをいたく気に入り、このブログでも以前ご紹介したとおり、2012年にはマンションの購入も行っている。当時は外国人のマンション購入は特例として認められ始めたところで、よほど珍しかったのか、下記リンクの通りPhú Mỹ Hưng社からインタビューも受けている。

phumyhung.vn

 

これが私自身のこれまでの「計画都市をめぐる冒険」なのだが、昨年これに新たな一章が加わった。息子が進学したカリフォルニア大学アーバイン校があるカリフォルニア州オレンジ郡のアーバイン市こそ、アメリカにおける計画都市の本家のような街なのである。カリフォルニア南部に拠点を置くディベロッパーであるアーバイン社によって計画され整備されてきた街区で、1965年にはカリフォルニア大学の誘致に成功、1971年に「アーバイン市」として市政に移っている。私がかつて住んだ筑波研究学園都市はアーバイン市を参考に計画されたとも言われており、つくば市とアーバイン市は姉妹都市でもある。アーバイン市は全米一犯罪率が低い都市とも呼ばれ、教育のレベルもすこぶる高く、最近もアメリカで住むのに最も良い都市第10位に選ばれたようだ。私のDNAが作用したか、息子が現在住む街も、国は変われど「計画都市」になった。

 

マンションを購入し、自分の会社も設立したので、私自身は居住地を変えることはしばらくないとは思う。ただ、まだ行ったことないのでアーバイン市も早く訪問したいし、何なら仕事が落ち着いたら、ベトナムとアメリカ、Phú Mỹ Hưngとアーバイン市の2つの計画都市に交互に住む、みたいな生活もいつか送ってみたい。そんな理想を夢見て、円安の今、息子の留学を必死に支えている俺ガイル。

全米大学ランキング考察

息子の大学選びについては我々両親は一切関与せず彼自身が受験校を選び合格校の中から自分で進学先を選択したのであるが、息子が進学先を決めたあと私の生来のリサーチ気質に火が付き、アメリカの大学ってどうなっているんだろう、と気になってそこから色々調べだした。今回のエントリーは、その成果の一部のお披露目である。ご自身やご子息のアメリカへの留学を検討されている方々の一助となれば幸いである。興味のない方はすっ飛ばしていただければ。

 

一般に日本は大学選びにおいて偏差値偏重と考えられているが、調べるとアメリカの大学も「ランキング大好き」であることがわかる。そして色んな種類のランキングが存在している。大きくはアメリカ国内のランキングと世界ランキングとがあり、前者の方はUS News というメディアのランキングが学生の間で多用されているようだ。前者にはこれ以外にもForbesWashington Monthlyなどがあるものの、一見するにやや偏重な印象(例えばForbesではCaltechが40位、Washington MonthlyではColumbiaが43位など)を受けたので、これらは今回の計算からは外した。後者の方は、一般的に3大世界大学ランキングと認知されているQSTHEARWUにプラスして、先述のUS Newsはアメリカ国内のランキングの他に世界ランキングも発表しておりそこでの順位も計算に加えた。単純に計5つのランキングにおけるアメリカ国内での順位を数字として、それらの大学ごとの平均値を取り、値が小さい順に高ランキングとして整理したものである。基本的には世界ランキングでの順位(5分の4)が大きな決定要因なので、アメリカ国内の一般市民の間の認知・名声や入試の難易度というよりも、世界的な研究成果での順位の意味合いが強いことに留意されたい。その事もあり、いわゆるリベラルアーツ・カレッジはこれには含まれていない。また、大学院大学もこのリストに含めなかった。

 

その結果をわかりやすく図化したものを下図に示す。なお、今回の使用データは最後に表として掲載した。図中ではスペースの関係で大学名に略称を使ったので、馴染みのない方は表の方をご参考にされたい。

 

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図 アメリカ大学ランキングの結果


アメリカの4つの地域と私立・州立別、そして私立はIvy Leagueに属する8校とそれ以外、州立はカリフォルニア大学群に属する6校(実際は全部で9校あるが全米50位に入る上位校)とそれ以外で色を分けた。この結果からわかることは以下の通りである。

  • 全米上位50校を選択すると、私立27大学・州立23大学とほぼ拮抗しているが、上位10校に入る州立大学はUC Berkeleyの1大学のみで残りはすべて私立である。そして、上位10校のうち9校は地域でいうとNortheastかWestにある大学である。
  • Ivy Leagueが上位10校のうち5校を占める。ただし、残りの3校のうち、Brownは20-30位、Dartmouthに至っては40-50位に留まる。Ivyのなかでも上位6校と下位2校の差が開いている印象。
  • 地域別では、Ivy Leagueの存在もありNortheastが強いが、上位50校で見ると圧倒的ではなく、バランス良く他の地域にも分散している。Southは4つの地域のなかで一番人口が多い事もあり、Northeastに続いて2位の13大学と意外に多い結果となった。ただし、上位10校にはSouthのどの大学も入っていない。
  • 最上位のトップ校には私立が多く、少し下になると州立が多くなる。私立・州立の割合が、トップ10では9:1、10-30位では6:4だったものが、30-40位では1:9と大きく逆転している。ただし、40-50位では再び5:5に戻している。
  • 州立はカリフォルニア大学群が強く、上位40校に6大学が入っている。そのこともあり、West地域では顕著に私立よりも州立の割合が高くなっている。逆にNortheast地域においては、Ivyが強いためか、州立は上位40校に1校も入っていない。
  • MidwestならびにSouthは私立と州立がバランス良く11位から50位の間に適度に散らばってランキング入りしている。
  • 上位50校に含まれる州立は基本それぞれの州の州立大学システムの旗艦校であり(カリフォルニア大学群のBerkeley以外を除く)、かつ経済力が上位の州にある。州別GDPがベスト15に入っているにも関わらず自身の州立大学がこのランキングの上位50校に含まれていないのはNew York州とMassachusetts州のみであるが、その2州には大変強い私立の存在がある。つまり、経済的に強い州には必ず強い大学が存在している。

 

州立大学は同じ州内の高校からの進学であれば授業料が相対的にとても安く、この結果からは、上位50校に進学できるような優秀なアメリカの学生は、カリフォルニアで生まれ育ちいずれかのカリフォルニア大学に進学するのが経済効率的に最も優位である、ということが言えると思う。もちろんそれよりさらに突き抜けているような学生はフルに奨学金を得て、Harvard、MIT、Stanfordの3強のいずれかで勉強することになるのであろうが。留学生である我が息子は、現地での奨学金の取得もとても難しく、州立大学で学びはするものの、ここで挙げたような私立とさほど大きくは変わらない学費を収める必要がある。とほほ、である。ちなみにではあるが、彼はこの整理でいうと、上位20校と30校の某大学に不合格となり上位40校の2大学と50位近くの1大学に合格したので、たまたまではあるが入試の観点からも(N=1)このランキングの尤もらしさを確認できたとともに、現時点での彼の実力はこのあたりに線を引くことができる、ということがわかった。

 

恐ろしいのが、アメリカの大学ランキング世界の大学ランキングと見てもそんなには違わないところである。感覚的にはここで挙げたランキングの数字を2倍にすればほぼほぼ世界ランキングになる感じ。それぞれのランキングに依るのだが、東大がおおよそ30位前後、京大がおおよそ50位前後なので、カリフォルニア大学でいうと、東大がサンディエゴ校(UCSD)、京大がサンタバーバラ校(UCSB)と同じような順位である。ちなみに私が学位を取得した大岡山の某理系大学は、QS以外ではここで挙げた全米50位に入る大学の足元にも及ばない。こちらもとほほ、である。

 

今回の整理で私の中でアメリカの上位大学の相対的な位置づけが明確になった。もちろん、入試や研究成果という観点でいうと、同じ大学内でも学部によってその難易度や評価は大きく異なるし、先程述べたようにこの検討結果では一般的な認知や名声よりも研究成果が重視されているので、実際の市民が持っている印象とは異なるかもしれない。Ivy LeagueのDartmouthが47位だなんておかしい、と感じられる方もいらっしゃるかもしれない。ただ、世界大学ランキングの持つ意味は日本のみならずアメリカでも年々大きくなっていると思われ、それに背を向けて伝統的な教育を継続していれば良いと思考停止に陥る大学は今後さらに淘汰されていくであろう。そんな偉そうな感想を最後に書いたが、今回、あくまで個人が状況把握用に作った資料のシェアであった。参考にしていただければ幸いである。

 

 

表 アメリカ大学ランキングデータ (2021)
Rank Name of University QS THE ARWU USNEWS
-World
USNEWS
-USA
Average
1 Harvard University 1 1 1 1 2 1.2
2 Massachusetts Institute of Technology 3 4 3 2 2 2.8
3 Stanford University 2 3 2 3 6 3.2
4 Columbia University 7 9 6 5 2 5.8
5 Princeton University 8 5 5 13 1 6.4
6 Yale University 6 7 9 9 5 7.2
7 University of California--Berkeley 4 6 4 4 22 8.0
8 University of Chicago 11 8 8 12 6 9.0
9 California Institute of Technology 21 1 7 7 9 9.0
10 University of Pennsylvania 10 10 12 10 8 10.0
11 Johns Hopkins University 14 10 13 7 9 10.6
12 University of California--Los Angeles 5 12 11 11 20 11.8
13 Cornell University 12 13 10 16 17 13.6
14 Duke University 13 14 22 17 9 15.0
15 Northwestern University 16 15 23 18 9 16.2
16 University of Michigan--Ann Arbor 18 15 18 14 23 17.6
17 New York University 9 17 19 19 28 18.4
18 Washington University in St. Louis 25 24 17 20 14 20.0
19 University of California--San Diego 27 20 14 15 34 22.0
20 University of Washington 24 19 15 6 59 24.6
21 University of North Carolina--Chapel Hill 32 25 20 21 28 25.2
22 University of Southern California 15 28 32 33 27 27.0
23 University of Texas at Austin 29 22 25 23 38 27.4
24 Carnegie Mellon University 17 18 38 40 25 27.6
25 Vanderbilt University 28 40 33 35 14 30.0
26 Brown University 19 29 49 44 14 31.0
27 Boston University 20 27 37 30 42 31.2
28 Emory University 22 32 49 36 21 32.0
29 University of Illinois--Urbana-Champaign 30 23 29 34 47 32.6
30 University of California--Santa Barbara 43 31 31 32 28 33.0
31 University of Wisconsin--Madison 58 26 21 24 42 34.2
32 University of California--Davis 34 30 40 31 38 34.6
33 Georgia Institute of Technology 38 21 49 27 38 34.6
34 University of Florida 35 50 38 39 28 38.0
35 Rice University 23 46 49 55 17 38.0
36 University of California--Irvine 45 37 35 38 36 38.2
37 University of Maryland--College Park 52 35 30 28 59 40.8
38 Ohio State University--Columbus 50 33 49 24 49 41.0
39 University of Minnesota--Twin Cities 54 34 24 26 68 41.2
40 University of Virginia 40 43 60 43 26 42.4
41 Purdue University--West Lafayette 53 39 36 45 49 44.4
42 Case Western Reserve University 41 42 49 49 42 44.6
43 University of Rochester 30 48 60 53 34 45.0
44 Pennsylvania State University--University Park 44 41 49 37 63 46.8
45 University of Pittsburgh 60 47 49 22 59 47.4
46 Tufts University 36 54 60 61 28 47.8
47 Dartmouth College 32 38 100 69 13 50.4
48 Georgetown University 26 44 76 86 23 51.0
49 Rutgers, The State University of New Jersey--New Brunswick 42 56 49 46 63 51.2
50 Michigan State University 55 35 49 42 83 52.8
51 University of Colorado--Boulder 77 51 27 29 99 56.6
52 Northeastern University 49 53 76 58 49 57.0
53 Arizona State University 33 44 41 54 117 57.8
54 Indiana University--Bloomington 75 52 49 48 68 58.4
55 Texas A&M University--College Station 64 57 60 47 68 59.2
56 University of Notre Dame 47 55 100 78 19 59.8
57 University of Arizona 64 49 49 39 103 60.8
58 University of Miami 48 61 76 67 55 61.4
59 University of California--Santa Cruz 80 58 60 41 103 68.4
60 Brandeis University 62 64 100 87 42 71.0

ピンチはチャンス

やもすると使い古されて陳腐に聞こえてしまいがちなこの言葉であるが、今回のエントリーではこの言葉を下敷きに私の18年間の子育て奮闘史について語りたい。

 

私の妻はフィリピン出身であり、2003年に生まれた息子は日本人とフィリピン人のハーフということになる。今でこそ芸能人(池田エライザや中島健人など)やスポーツ選手(高安など)で活躍している人も多いが、日本においてフィリピン人とのハーフに対して全員が必ずしも良い印象を持たないかも知れず、特に子供は残酷なので、学校でいじめの対象にあったらどうしよう、という懸念が正直当時強くあった。また、私の仕事は基本海外での案件に従事をしないとお金をもらえない業態なので、親族や友達がいない妻を一人日本において息子の面倒を見てもらい私は日本以外の国々で稼ぎたまに日本に帰って家族と会う、ということは困難なんだろう、と考えていた。そこで私は、息子が4歳になるタイミングでお声掛けを頂いた会社に転職し、ベトナム・ホーチミン市に活動のベースを落ち着かせることが出来るようになった。

 

息子がまだ小さい頃は、私は息子に対して日本語で話し、妻は(日本語がほとんど喋れない事もあり)英語で話をしていた。保育園での会話も英語だし、だんだん高度な内容になってくると息子の日本語での会話の組み立てが困難になり、私の日本語での問いかけに対して英語で返してくるようになった。そうなると私からの問いかけもついつい英語になり、結果として彼の第一言語は英語となった。小学校にあがる際に土曜日午前中のみ授業を行う日本人補習校に入れることも選択肢としてあったが、保育園・幼稚園からの流れもありシンガポール系のインターナショナルスクールに通わせていて宿題の量がとても多かったので、それにプラスして補習校からの宿題も出るのは可愛そうだな、と補習校に通わせることは選択しなかった。「日本国籍だけど日本語喋れない問題」については、彼が大学に進学した後に自分で学習する必要があると感じたらすれば良い、と考えた。ちなみに、ホーチミン市においては、アメリカ系、イギリス系、オーストラリア系、カナダ系などなど色んな国のインターナショナルスクールが存在していて、シンガポール系のそれを選択したのは、数学が出来る出来ないが彼の人生の選択肢に大きく影響をすると考え、まだ学齢が低い間はアジア式の詰め込み教育のほうが良いのでは、と思ったためである。

 

シンガポールインターナショナルスクール(SIS)での教育は満足しているが、とにかく宿題が多かった思い出である。当時は私自身ハノイへの出張が月の半分を占めていたのであるが、息子から送られてくる算数の問題をホテル備え付けのメモに回答を手書きし、それを写メして息子に送り返す夜を何度過ごしたことか。酔っ払ってホテルの部屋に戻った夜にも、SISからの算数の宿題は残酷にも山のようにあり、涙目になりながら数字と格闘した日々は今となっては懐かしい。息子へのこれまでの教育で唯一の誤算があったとすれば、ここで息子は数学に対して半ばトラウマになってしまったようで、数学嫌いが板についてしまったことか。

 

私がホーチミン市で住んでいるのは7区というところであるが、ここにサイゴンサウスインターナショナルスクール(SSIS)というアメリカ系の学校がある。アメリカの大学への進学を第一に考えているのであればやはり高校もアメリカ系のに行かせたほうが良いだろうという考えのもと、高校の4年間、8年生になるタイミングでSSISへ編入する事を選んだ。SSISはアメリカ国籍を持つ家族の子供と裕福な家庭のベトナム人が多い学校で、韓国人も比較的多いのが特徴だ。明確な統計で比較したわけではないが、アメリカの大学への進学でいうとベトナムのインターナショナルスクールの中では間違いなくトップ校の一つであろう。編入するのも容易ではないようだが、息子はなんとかこれに合格し、良い意味でも悪い意味でもアメリカの文化により染まっていくことになる。

 

シンガポール系での初等教育を受けたのだからアメリカ系の数学なんて楽勝でしょう、と親の私は勝手に思っていたが、先述のトラウマのせいか元々の彼の資質・性格かはわからないものの、結果的にさほど伸びなかった一方で、英語の成績はいつも良くて、大学に提出するSATの成績も上位2%の点数を得ることが出来たようだ。結果として、アメリカの大学を5校受けてうち3校に合格し、21年9月よりカリフォルニア大学アーバイン校(UC Irvine)に進学することとなった。専攻としては親が元々期待していた理系ではなく社会科学系を選んだのであるが、それは彼自身の選択なので親の私は何も言わずにそれを全力で支えていこうと思っている。

 

いじめられるかも知れない、という気持ちからスタートした彼への教育、世界大学ランキングでも100位以内のアメリカの大学に進学させることが出来、いまのところ胸を張って生きていける道を歩ませている自負はある。私自身の選択で非日本人と結婚し日本ではないところで生活をしたので、それが理由で息子に不自由を与える事がないように知恵をめぐらし選択・投資を行ってきた。ピンチをチャンスと捉えて。アメリカの大学は学費が非常に高く留学生への奨学金は非常に限られている一方、特に近年生活費もどんどん上がっているので今後に懸念がないわけではないが、無事に卒業をさせてあげることが出来るように父親の私は自分の仕事を引き続き頑張るのみである。

お久しぶりでございます。

約2年半ぶりのブログ更新となります。その間、いろんな事がありました。

 

まずは、9年間、事業譲渡元の組織を含めると14年弱お世話になった会社を退職し、2021年4月に独立をしました。自分の会社設立ということになります。それに合わせてブログタイトルもキャッチーに変更しました。1)ベトナムで会社を作る、2)日本で会社を作る、3)第三国で作る、といろんな選択肢を考えましたが、結局2)を選びました。2)にしても、a)株式会社を作る、b)合同会社を作る、c)それ以外の組織にする、という選択肢の中、私はb)を選びました。独立して約半年経ちましたが、おかげさまでこのコロナ禍のなか、いまのところ家族を路頭に迷わせるような状況にはなっていません。ベトナムにいながら日本で法人登記をした話については、参考にされたい方もいらっしゃると思いますので後日別エントリーを立てたいと思います。

 

次に、一人息子がホーチミン市で高校を卒業し、アメリカ・カリフォルニアの大学に進学しました。これは今月のことなので、現在このことで頭がいっぱいです。アメリカ(もしくは他の欧米諸国)で大学生活を送ってもらうことが親子共通の目標でありアメリカ系のインターナショナルスクールに通ってもらったわけですが、それは叶ったものの、一人息子なのでやはり離れて暮らしていることに対する寂しい気持ちは今でも強いです。そして、自分自身はアメリカへの留学は選択しなかったので、今更ですがアメリカの大学システムに強い関心を持っています。

 

従事している仕事は相変わらずホーチミン都市鉄道1号線の建設事業で、このコロナ禍のなか、色々問題はありながらも自分の担当業務を自宅から淡々とこなしています。今の業務は主に鉄道会社(ホーチミンメトロ)の人材育成への対応が中心となっています。息子の独立とベトナムでのデルタ株による第四波によるロックダウンのタイミングがちょうど重なり、息子の部屋を仕事部屋に出来ているので、わざわざ事務所を自分で借りなくても良かったかなと考え始めてはいますが、一応いまのところ継続して事務所も別途借りています。

 

会社設立と経営、アメリカの大学、そしてアジアの鉄道事業、の三本柱で今後ブログを継続していこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

今日ぐらいは感傷に浸らせてくれ

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2019年3月24日NHK6時のニュースより

2019年3月24日。ジャカルタMRT南北線、ジョコ大統領を迎えて無事に開通式典を行うことが出来た。鉄道車両や信号などのシステム、土木工事等日本の企業が納めた史上初めての「オールジャパン」による海外での都市鉄道の開通である。私は、無事にこの日を迎えられたことを鬼籍に入られたお二人に心の中で報告をした。高橋勝重さんと根橋輝さんに、である。

 

高橋さんは、元日商岩井の社員でかつてニューヨークに16年も駐在されていたようだ。当時日本人鉄道技術者に海外でご活躍いただく支援をしていた社団法人海外鉄道技術協力協会(JARTS)に2000年代の前半に転職された方である。確か奥さんが裕福な方で高給を取る必要がなく、それよりもやりがいがある仕事をということでJARTSのミッションを達成させようと志を持って転職をされた模様。私が高橋さんにお会いしたのは確か2005年だと思う。当時私はハノイでJICA開発調査の業務を行っていた。その1年前にJICAに提出したホーチミン市交通マスタープランのなかで提案した「ホーチミン都市鉄道1号線」。私も深く関わったこの案件がオールジャパンによる都市鉄道整備の案件を探していた高橋さんの目に止まり、これを実現させようと当時の私の会社にコンタクトされたのが最初である。当初は私の先輩が担当する予定であったが、別の案件で忙しかったため私に白羽の矢が立った。

 

高橋さんの動きは、経済産業省にも支えられていた。一定の割合で日本製を購入すればODAによる借款利率が極めて低くなる本邦技術活用条件、いわゆるSTEPを都市鉄道整備に史上初めて適応させようと奔走されていたのが経産省国際プラント室のM室長(当時)であった。それまで、日本のODAによって都市鉄道の整備は行われてきたが、バンコクのブルーラインはシーメンスが、デリーのデリーメトロでは電装品は三菱電機だが車両自体は韓国のロテムが納めることとなった。信号システムもそれぞれシーメンスとボンバルディアとなった。ODAで都市鉄道を整備しても日本製が入らない、という声が上がる中、STEPによる都市鉄道整備を目指して奔走し、それを実現させたのは経済産業省のM室長とJARTSの高橋さんである、と私は認識している。

 

高橋さんは営業職なので鉄道技術のことは詳しくない。そちらを支えたのが同じくJARTSの根橋さんであった。根橋さんは国鉄分割民営化の際に鉄建公団(現在の鉄道運輸機構)に移られて、鉄建公団の幹部を経てその後JARTSに勤務された方。慶応高校から東京大学工学部土木工学科を卒業し、国鉄に入られたエリートである。その根橋さんがチームリーダーとなりJICAマスタープランで提案したホーチミン1号線の深度化調査を経済産業省の予算で行ったのが2006年である。私はここで需要予測・経済財務分析を担当したのだが、鉄道技術的にはもちろん優れていたが英語でのレポーティングが必ずしも得意ではない根橋さんに代わってレポーティング全般も見ることになった。

 

STEPの実現のためには、鉄道技術にかかる検討だけではダメで、いわゆる紐付きODAとするためにはOECDのルールに則って進めて、仮にOECDの他の加盟国から異議申し立て(これを我々はチャレンジと呼んでいた)を受ければパリのOECD本部での討論会に参加してその可否を合議する必要があった。このOECD用のレポートもほとんど私が執筆しパリからチャレンジを受けたらどうしょうと震えていたが、結果的にチャレンジを受けることなく史上初の都市鉄道へのSTEPが決定した。そして、そのような働きが評価されたか、私は高橋さんから声がかかり、2007年JARTSに転職することになった。

 

ジャカルタMRT南北線の案件は、ホーチミン1号線より1年遅れで始まった。ジャカルタMRTにおけるSTEP導入の経緯は私は把握していないが、ホーチミンでの採用の成功が影響している事は間違いないと思われる。そして、2016年から私もジャカルタの案件に携わることになり、日本車両の電車が走り、日本信号の最新の信号システムが支えるこのジャカルタMRT南北線の開通式の今日の日をメンバーの一人として無事に迎えることが出来た。 

 

思えば博士号取得後の私は、オールジャパンによる鉄道整備を実現させる「熱病」に取り憑かれたようなものであった。ただ、今日は「始まりの終わり」に過ぎない。高橋さん、根橋さんの想いをつなぐためにも、間もなく始まる営業運転を安全に行い、日本の高いサービスレベルをジャカルタ、インドネシア、世界の皆さんに味わっていただくように今後も微力を尽くしたいと思う。ただ、今日ぐらいは感傷に浸らせてくれ。

私が10階を選んだ理由

私が2012年にホーチミン市にてマンションを購入した経緯は過去2度のエントリ()に記したとおりであるが、今住んでいるマンションの部屋は10階に位置している。複数選択肢があった中、購入時にあえてこの階を選んだのであるが、その理由を今回のエントリで述べたいと思う。

 

 1. 蚊やゴキブリを避けたい

ある程度の高層階になると蚊やゴキブリが出なくなる、とネットで読んだ。日本の場合それがおおよそ5階以上ということだったので安全率をかけてもう少し高い階にした。

 

2. 火災が心配である

そうかと言ってあまり高い階にするとベトナムなので火災が心配である。3階以上にする時点で直接窓から飛び降りることは無理ではあるのだが、はしご車が届く範囲というのがあるはずである。ベトナムの消防署が所有するはしご車の届く範囲を把握することはできなかったが、日本での小型はしご車の届く範囲が10階という記事を見て、これも一つの決め手となった。

 

3. 停電が心配である

竣工したてのマンションであったので、停電がどの程度頻繁に起きるのか、自家用発電でどこまで対応可能か、把握できない部分があった。それもあって、階段を使って上る必要が一定の頻度で発生するようであれば、あまり高い階を選ぶと死ぬなと思い、中層にした。

 

4. そうは言っても景色は楽しみたい

今のマンションを選んだ最大の理由は近くに流れる川を一望できるという点だったので、そうは言ってもある程度の高さは欲しかった。

 

5. タワマンカースト的な発想も多少気になった

高層マンションに住む以上は、今後の精神衛生を考えるとある程度の高さの階に住んでおきたいとも思った。10階であればぎりぎり二桁なので、「あ、あなたは一桁の住民なのね」という高層階住民の選民意識に悩まされないのではと期待した。

 

いまのところ、階段は7年間で1度しか使ったことがないのでもう少し高い階でも良かったかなとも思う。ただ、火災はいつ起きるかわからないし、蚊やゴキブリもほとんど出ず、選民意識に苛まされることもないので当時の選択は間違っていなかったと考える。今後ベトナムでマンションの購入を検討されている皆さんの参考になれば幸いである。